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藤沢晃治の「立ち読みコーナー」

Copyright Kohji Fujisawa, 2004. All Rights Reserved

この頁は、講談社・ブルーバックスから刊行されている次の3冊の内容のエッセンスをダイジェスト版として紹介します。
●「分かりやすい表現」の技術
●「分かりやすい説明」の技術
●「分かりやすい文章」の技術


◆ 街に氾濫する分かりにくさ ◆

分かりにくさの真犯人は?
この写真は地下鉄半蔵門線・永田町駅での案内板です。こんな標示に瞬間、迷ったことはありませんか。例えば、見慣れている人を除き、緑色の丸印で標示されている南北線に乗り換えるためには「左に行けばいいのか、右に行けばいいのか」。私たちはこの標示に戸まどいます。

なぜなら、南北線の緑色の丸印に一番近い矢印が左を指しているからです。実は、こんな街の「分かりにくさ」の中に、私たちの日々のビジネスにも役立つ改善案のヒントが隠されています。

瞬間だけとは言え、なぜ、この標示は私たちを迷わすのでしょう。どう改善したら、瞬間の迷いさえ起こらない「分かりやすい標示」にできるのでしょうか。

グループ分け不全症候群
似たような例をもう一つ、紹介しましょう。この標識も、「横浜へ行くには、直進だろうか、左折だろうか」とドライバーを戸まどわせます。見る人を迷わせる原因は、実は永田町駅の標示と同じです。

それでは、これら2つの例に共通する表現上のミスは何でしょうか。それは、私が「グループ分け不全症候群」と呼んでいる、私自身も含め、誰もが犯しがちなミスです。 外界から脳に情報が入ってくると、人間はまず、情報の区切り、境界を見つけ、大きな塊(グループ)に「分けて」、外界を認識しようとします。

情報発信者が始めから、境界線を強調するなどして、その「グループ分け」がよく見えるようにしておけば、情報受信者が迷うことはありません。逆に、情報発信者が、その「グループ分け」作業で手抜きをした場合、情報受信者自身がその作業を押し付けられ、認識に手間どるのです。

永田町駅の例では、「右矢印のグループ」と「左矢印のグループ」を枠などで囲むなどして、もっと明確に分ければよいのです。道路標識でも「横浜」の文字が、「直進グループ」に所属しているのか、「左折グループ」に所属しているのかが曖昧なため、ドライバーを瞬間、迷わせるのです。

例えば、「東名」の文字を「16号道路」の下に移動させ、「横浜」の文字を現在の中間で曖昧な場所から、もっと「16号道路」に近づけるだけでよいのです。これだけで、ドライバーが手間どらず、2つのグループ分けをすぐに認識できるのです。
さて、こんな日常生活にありふれた「グループ分け不全症候群」は、なぜ起こるのでしょうか?また、私たちの普段の仕事に活かせるどんなヒントが隠されているのでしょうか?



◆ 「分かりやすい」とは何か? ◆

人は解釈で物を見ている
人間は視覚的に得られた情報と、自分なりの解釈との2つを重ねて物を見ています。この「解釈」が人によって違うので、「同じ物を見ているのに、違って見える」という現象が起こります。道路標識を作っている人には「分かりやすく」見える道路標識が、その同じ標識を見ているドライバーには、「分かりにくく」見えるのです。営業担当のあなたには、分かりやすい新製品説明でも、お客様には分かりにくいかも知れません。

この視野の食い違いを星座で説明すると分かりやすいでしょう。星を見ている時、視覚的に見えているのは星だけです。一方、数個の星を1つの絵に対応づけ、グループ化させた解釈が星座です。この図で言えば、★印は物理的に見えているもの、それを繋いでいる「線」の部分は見ている人の解釈の部分と理解してください。


情報発信者が左側のようなつもりで表現しても、情報受信者には、右側のように見えている可能性があるわけです。情報発信者の解釈の部分である「線」を明示的に表現しないからです。

例えば、プレゼンテーション用パッケージを作る際にも、この視点、つまり、自分だけが分かっている解釈(情報の境界、グループ分け)を明示しているかをチェックするだけで、随分と分かりやすいものに改善することができます。


「分かりやすい」って、なに?

さて、私たちがついつい犯してしまいがちな分かりにくい表現の一例として、グループ分け不全症候群を紹介しました。「意図を伝える技術」を紹介するこのダイジェスト版文章では、こうした1つ1つの原因分析に進む前に、私たちが日常よく言う「分かりやすい」とか「分かりにくい」とは、そもそもどういう意味なのかをまず考えておきましょう。意図を正しく伝える分かりやすい表現を考えるための土台になるからです。

認知心理学という学問があります。人間が外界からの情報にどのように気づき、解釈し、思考していくかを研究する学問です。この認知心理学の知識を借りて、「分かりやすい」という意味を考えてみましょう。肩が凝るかも知れませんが、「急がば回れ」の精神で、ちょっとだけ辛抱してください。ところで、「分かりやすい」を考える前に、「分かる」とは、そもそも何なのでしょうか?


認知心理学では、人間が外界からの情報を処理する際、情報が最初に処理される場所を短期記憶と言い、短期記憶で処理し終えた情報が最終的に格納される場所を長期記憶と呼んでいます。

私は覚えやすいように短期記憶のことを「脳内関所」、長期記憶のことを「脳内辞書」と呼んでいます。

どうすれば分かりやすくなる?
結論を先に言ってしまうと、外界の情報が私たちの脳内辞書に届いて格納される瞬間が私たちの「分かった!」「そういう意味か!」と感じる瞬間なのです。さらに、その「分かった!」の瞬間がなるべく早く到達するような情報が「分かりやすい情報」です。そのためには、当然、脳内関所での外界情報に対する審査処理が円滑に行われることが必要です。次に、一体どのように情報発信したら、この脳内関所での審査が円滑に処理されるのかを紹介しましょう。

相手にとって分かりやすい文章を書いたり、分かりやすい説明をするためには、相手の脳内関所を通過しやすいように情報を加工すればよいのです。では、情報をどんな風に加工すればよいのでしょうか。それを理解するため、「脳内関所」と「脳内辞書」のそれぞれの簡単な特徴を覚えておいても損はありません。算数の「九九」を一度覚えてしまえば、生涯役立つのと同じです。


脳内関所と脳内辞書の特徴を知ろう
脳内関所は、情報が一時的に通過するだけの作業場(「Working Memory」とも呼ばれる)です。別名の短期記憶という名前が示す通り、短時間しか記憶を保持できません。たとえば、8桁の電話番号をメモしないで覚えていられる程度の時間です。記憶できる情報のサイズも小さく、文字にして10文字程度と言われています。

一方、脳内関所で意味が確定した情報は、脳内辞書に送られてきます。脳内辞書(長期記憶)は、脳内関所(短期記憶)とは逆に、記憶できる容量は、ほぼ無限大です。また、自分の名前をいつまでも覚えていられるように、記憶を保持できる時間もほぼ永遠です。
とりあえず、この程度の基本的なことを知っておくだけで、分かりやすい説明をしたり、分かりやすい文章を書くための秘訣を理解するのに役立つはずです。



◆ 人間の脳はビール瓶? ◆

アイデアも伝えられなければ評価されない
脳内関所のサイズが小さいことに由来する、分かりやすい文章を書くための簡単なテクニックを紹介しましょう。文章といっても小説などのような芸術文ではなく、あなたが日頃、会社のメールで書いているような仕事に使う実務文です。

あなたが素晴らしいアイデアを持っていた場合、それを上司や他部門の人、またはお客様に伝える手段が文章であることは多いわけです。せっかくアイデア自体が素晴らしくても、文章でそのアイデアを伝えることができなければ、評価してもらえません。

素晴らしいアイデアを生み出すことも仕事の重要なスキルですが、それを周囲に「伝える技術」も、同様に重要なスキルなのです。

「文章力」という言葉には大袈裟な響きがあります。何か特別な勉強でもしなければ身につかないような印象を与えます。しかし、忙しい毎日、今さら文章術をわざわざ勉強することは、おっくうです。また、仮に書物で勉強しても、細かいテクニックは時間が経てば忘れてしまいます。

そこで、今回は「え?それだけ?」と思えるような、実行が容易でありながら、最も効果が大きい、簡単な文章術のテクニックを1つだけ紹介しましょう。


文章力強化のための簡単なコツ
それは、コロンブスの卵のように誰もが知っているコツです。句点「。」で区切られる1つの文の長さを短くするだけなのです。こんな簡単なことは、単純明解過ぎて、「忘れよう」と努力しても忘れられるものではありません。しかも、効果が最大とくれば、文章を書くとき、必ず心がけるようにしても損はないでしょう。

一回読んだだけでは、なかなか意図が飲み込めず、首をかしげてしまうような悪文メールに出会うことは毎日でしょう。そんなとき、特に何度も読み返さないと意味を解釈できなかった文の長さをチェックしてみてください。たいてい、ダラダラと長い文のはずです。

脳が短い文の方を処理しやすい理由は、もちろん、情報の入り口である脳内関所のサイズが小さいからです。句点「。」までが長い文で大量の情報がドッと一気に押し寄せると、脳内関所という小さな作業場があふれてしまうのです。


ビール瓶の原理
私は、この情報の入り口が小さいことになぞらえて、人間の認知のメカニズムを「ビール瓶の原理」と呼んでいます。

水(外部情報)をビール瓶の狭い口(脳内関所)に、乱暴にドッと勢いよく浴びせかけても、ビール瓶の中(脳内辞書)には効率よく水が入っていきません。つまり、情報が理解されないのです。プレゼンテーションなどで、早口でまくし立てる癖がある人は注意しましょう。

水をビール瓶の中に効率よく注ぎ込むには、小さな口から水があふれないように、細い水流で慎重に注入する必要があります。実は、短い一文の連続で分かりやすい文章を書くテクニックも、このビール瓶の原理に基づいているのです。

こんな経験はありませんか?自分では、ちゃんと分かるように書いたはずのメールが、受信者には理解されず、「何が言いたいのか」を尋ねられた経験です。または、質問さえされず、全く異なる意味に誤解されてしまった経験です。

理解されなかったり、誤解されたりする悪文の原因は、「必ず」とまでは言いませんが、たいてい一文の長さにあります。混同しないように語義を再定義しておきたいのですが、ここで言う「文」とは、句点「。」で区切られる一文を意味します。「文」の集合体である「文章」のことではありません。


書き手と読み手のすれ違い
文章の書き手と読み手との間には、ある宿命の「すれ違い」があります。理解しうる一文の長さの限界に関し、書き手と読み手との間にギャップがあるのです。書き手は、これから自分が書く内容の趣旨を事前に知っています。だから、ついつい長い文を書いても、理解できてしまうわけです。

一方、書かれている趣旨を事前に知らない読み手が、同じその長い文を読まされると辛いわけです。だから、ぼんやりしていると、ついつい、書き手は、読み手にとって辛い、ハードルの高い文(長い文)を書いてしまいがちです。自分で書き上げた文章を読み返してみて、その中で、ちょっと長いかな?と感じる文を見つけたら、途中に句点「。」を入れて、2つの文に分割しましょう。

時々は長い文が混じっていても、目安として、一文の長さの平均値が40文字程度以下の文章なら合格でしょう。このチェックだけで、あなたの文章は、格段と読みやすく、分かりやすくなるはずです。



◆ 映画館で説明の達人になろう! ◆

私たちは、上映中の映画館に入ると、最初、暗闇に目が慣れていないため、上映中のスクリーン以外は真っ暗で何も見えず、通路を歩くこともできないほどです。しかし、しばらく時間が経つと目が暗闇に慣れ、通路を歩いたりすることくらいはできるようになります。目が慣れるまでには、タイムラグがあるのです。

映画館では走るな
先に映画館に入っていたあなたが、遅れて映画館に入ってきた友人を館内入口で出迎えるシーンを考えてみましょう。上映中の館内は、すでに照明が消され、真っ暗です。

映画館に先に入っていたあなたは、目が暗闇にすっかり慣れているため、通路などもよく見えます。そのため、友人も通路がよく見えているものと勘違いし、あなたは、その友人を座席までササッと足早に誘導しようとします。

その友人は、足早に誘導されても、真っ暗なので歩くのもおぼつかなく、つまずいて転倒でもしないかと恐怖さえ感じているのです。


説明も映画館と同じ
このような光景は、業務上のプレゼンテーション、友人との雑談等、様々な説明シーンで日常的によく見られる光景です。つまり、説明する側の視野だけが明るくて、説明される側の視野が当初、まだまだ暗いために起こる悲劇です。あなたが説明者である場合を想定してみましょう。説明者のあなたは、説明したいテーマを自分自身では熟知しています。

つまり、あなたは、映画館に入って随分と時間が経ち、目が暗闇に慣れている人です。一方、今日、初めてあなたの説明を聞く人は、そのテーマに関して、「たった今、映画館に入ったばかりの人」なのです。友人の視野が最初は暗いことに配慮し、つまずいて転倒しないように、友人の目が暗闇に慣れるまで待ったり、最初はゆっくり歩くなどの配慮をしましょう。

慣れるには時間がかかる
先日、繁華街を歩いているとき、「アンケートにご協力いただけますか?」と声をかけられました。新型コンタクト・レンズの売り込みを目的としたセールスのようでした。アンケートを装い、最終的には自社製品のパンフレットでも渡すのだろうという意図は見え透いていました。アンケートの質問がひと通り終わると、今度は、手慣れた手順で、なにやら新しい理論の説明が始まりました。

ところが、なかなかその説明を聞いていても、よく理解できず、ピンと来ないのです。恐らく、その新理論に関して、それを今日初めて聞く私と、その説明員との間の「慣れのギャップ」が原因だと思います。物事に慣れるには時間がかかります。


タイムラグの存在に気づこう
私は、物事に慣れるまでのこの時間を「タイムラグ」と呼んでいます。説明下手な人は、たいてい、このタイムラグの認識が全くない人です。タイムラグとは、一般的には、「時間のずれ」「時間差」です。

しかし、私がここで言うタイムラグとは、聞き手の脳が説明されているテーマに慣れ、その内容を消化、処理できるようになるための準備時間を指します。


タイムラグはなぜ起こる?

さきほど、脳内関所と脳内辞書の特徴を簡単に紹介しました。ここでのタイムラグとは、聞き手の脳内関所に現在、入ってくる一連の情報を「脳内辞書のどの項目に送るべきか」を検討している時間なのです。聞き手にとっては、「何が言いたいんだろう?」と感じている時間です。

情報の最終格納先が確定する前に、いくら細かい説明を始めても、あなたが話す情報は、脳内関所であふれて捨てられてしまいます。すでに勉強した通り、脳内関所では、長時間、記憶を保持できないからです。つまり、情報の最終格納先である脳内辞書内の項目が選定される前に、あなたがどんなに熱弁をふるっても、聞き手に理解されることはないのです。


キャッチャーが構えてからボールを投げよう
説明上手になりたければ、このタイムラグに配慮しなければなりません。タイムラグは気づきにくい概念ですが、説明する人にとっては、大変重要な概念です。夢中になって説明する人は、ついつい忘れがちです。何かを説明するためのプレゼンテーションの際、次の頁のスライド・チャートに進んだ時、いきなり、その頁の詳細な説明を始めていませんか?

そのチャートを作成したあなた自身の目には見慣れたチャートでも、今、初めて見た人の目には、映画館の暗闇です。説明を聞いている人の目が新しい頁の構造、趣旨などに慣れるまで、説明者のあなたは、足踏みしたり、ゆっくり歩いたりしましょう。

具体的には、その新しいチャートが何を伝えたいかなど、大まかな情報をゆっくり話して待ってあげればよいのです。こうして数秒間でも一呼吸を置き、プレゼンテーションの聞き手の目が慣れてきた頃を見計らって、詳細な説明を始めましょう。

暗闇に目が慣れれば、聞き手もあなたの伝えたい情報を取りこぼすこともなく、効率よく確実に吸収してくれるはずです。聞き手というキャッチャーに情報というボールを確実に受け止めてもらいたいなら、ボールを投げるのは、キャッチャーが構えるまで待ちましょう。



◆ 実務文の書き手は黒子になろう ◆

文章には2種類ある
文章には、大きく分けると小説やエッセイなどの芸術文と、意見、情報、研究成果などを伝達する実務文との2種類があります。今回は、仕事で使う後者の実務文を書く場合の注意事項を紹介したいと思います。実務文には常に、はっきりとした目的があります。

生命保険更新の案内文は、更新希望者に間違いなく更新手続きをとってもらうことが目的です。忘年会案内メールは、参加希望者に参加条件を理解してもらい、指定場所へ指定時刻に遅れずに集合してもらうことが目的です。目的を達成する文章には、常に正確さが必要です。

実務文は正確な論理で書こう
会話では、多少、不正確に表現しても、その場で気づけば訂正もできます。補足説明も弁解もできます。しかし、実務文では、書きっぱなしです。不正確に書けば、不正確に伝わり、訂正、弁解の機会がないこともあります。伝えたい意図をできるだけ論理的に表現するように意識しましょう。情緒のままに情報発信する会話とは違い、実務文では、会話以上の正確性が要求されるのです。

ある文章術の本で、次のように書かれた部分がありました。


【原文】
「文は長ければわかりにくく、短ければわかりやすいという迷信がよくあるが、わかりやすさと長短とは本質的には関係がない。問題は書き手が日本語に通じているかどうかであって、長い文はその実力の差が現れやすいために、自信のない人は短い方が無難だというだけのことであろう。」

(句読点、送り仮名等、原文のまま)

この著者が本当に意味したかったことを推測して、この原文を改善してみました。次のような意図ではなかったのでしょうか。


【改善例】
「文は短い方が分かりやすいと一般的に言われているが、日本語の実力がある書き手なら、長くても分かりやすい文を書くことができる。」

説得力は正しい論理から

原文と改善例とでは、どちらの方がすんなりと頭に入ってくるでしょうか。推測なので著者本人に確認しなければ、この訂正文が本当に、その著者の意図することなのかどうか、確かではありません。ただ、私自身は、原文の主張は、厳密に言えば、論理的に誤りだと思います。

改善文のような表現で書かれていれば、抵抗なく受け入れられたでしょう。自分の意図をなるべく大勢の人に抵抗なく伝えたいのであれば、読み手に納得してもらえる説得力が必要です。説得力を構成する一つの要素は正確な論理です。

実務文の書き手は、黒子になろう
またもや、推測で恐縮ですが、恐らく、この著者は「文は短くしよう」との世間の風潮に普段から憤慨していたのではないでしょうか。著者の感情である、その憤慨を表現することが中心になっているため、論理的不正確さが紛れ込んでしまったのではないでしょうか。

文章は数学ではないので、あまりウルサク、論理、論理などと言いたくありません。たとえば、エッセイなどの芸術文では、主役である書き手の人となりを読者が感じて楽しむものです。 したがって、芸術文であれば、原文のように書き手の感情を素直に書くことは、とてもよいことです。

しかし、実務文の主役は、書き手ではなく、伝えるべき情報、主張、事実などです。こうした実務文では、論理的にねじれた文章は、それだけ説得力が低下します。実務文の書き手は、あまり出しゃばらず、黒子のように、主役の座から一歩引いて、隠れていましょう。

さて、私が原文の主張が論理的に誤りであると感じる理由は単純です。「文の長さ」と「書き手の実力」という2つの要素を混ぜて論じている点です。つまり、書き手の日本語の実力があろうと、なかろうと、同じ書き手が書くなら、常に「短い文の方が分かりやすい」と言えるからです。こう説明されても、今ひとつ実感が湧かないのではないでしょうか。

家具に置き換えて考えてみよう
理由はうまく説明できないけれど、直感的に「何かおかしい」と違和感を覚えることがあります。ここで紹介した原文もそういう違和感を与えます。そんなとき、なじみのある身近な他の物に置き換えてみることで、思考が整理されることがあります。

たとえば、原文での2つの要素「文の長さ」と「書き手の実力」を他のものに置き換えてみましょう。「文の長さ」を「家具の重さ」に、「書き手の実力」を「家具職人の腕」に置き換えてみましょう。そうすると、原文は、次のように変換されます。原文での「文章の分かりやすさ」は、以下の変換文では「家具の運びやすさ」に対応します。

【原文を変換】
「重い家具は運びにくく、軽ければ運びやすいという迷信がよくあるが、家具の運びやすさと家具の重さとは本質的には関係がない。問題は家具職人の実力があるかどうかであって、重い家具はその実力の差が現れやすいために、自信のない職人は軽い方が無難だというだけのことであろう。」

論理の流れにボタンのかけ違えがあることを今度は実感していただけたでしょうか。私が先に示した改善文に対応する変換文もついでに、示しておきましょう。

【改善文を変換】
「家具は軽い方が運びやすいと一般的に言われているが、実力のある家具職人なら、重くても運びやすい家具を作ることができる。」

仕事で使う実務文では、できるだけ正確に表現するように心がけましょう。そうすれば、説得力のある文章になり、より多くの人にあなたの主張を納得してもらうことができるのです。



◆分かり過ぎて、分らない◆

この見出しの「分かり過ぎて、分らない」の意味を説明しましょう。「ある事柄をよく分かっている人は、その事柄を知り過ぎているため、逆にその事柄をよく知らない人が何を分らないのかを理解できない」という意味です。かえって、分かりづらくなったでしょうか。


専門家は、説明の不適格者?
ところで、なぜ、「分かり過ぎて、分らない」が起こるのでしょうか。パソコン初心者向けの入門書を書く適任者は、パソコン・マニアではありません。その理由は、パソコン・マニアが一つのことにしか精通していないからです。初心者向け入門書を執筆するためには、次の二つの事に理解がなければなりません。つまり、

  1. パソコンの知識
  2. 初心者の発想

の二つです。パソコン・マニアはパソコンの知識が十分でも、「初心者の発想」に欠けるのです。もちろん、パソコンをよく知らない初心者は、パソコンの知識がありませんから、こちらも、お話になりません。 このケースでは、適任者は「初心者卒業ホヤホヤ」の中級者です。

分かりづらいマニュアルに怒りながら、さんざん苦しんで、やっと、どうにかこうにかパソコンを使いこなし始めている人です。初心者卒業ホヤホヤの人なら、初心者が何を理解できず、何を迷い、それをどう解決したか、記憶に新しいはずです。記憶に新鮮な自分の体験をほとんどそのまま書いていけば、初心者向けのよい入門書ができあがるでしょう。

知れば知るほど、失われるもの
パソコンの精通者では、こうはいきません。初心者だった頃の自分の発想、苦労などは、すでに記憶のかなたで、実感に乏しく、ほとんど他人事(ひとごと)です。結果として悪意はないものの初心者に不親切な入門書ができあがってしまうでしょう。あることに精通していく過程で、得られるものと、失われるものとがあります。パソコン習熟の過程でいえば、得られるのはパソコンの知識であり、失われていくのは初心者の発想なのです。

世にも不思議な体験
同じ内容の講演を繰り返し依頼される私も思い当たることがあります。初回の講演では、プレゼンテーション用のパッケージも作成したばかりで、内容にも自信がない状態です。ところどころに自分自身が十分理解できていない個所があったりもします。

したがって第一回目は、それこそ話し方も訥弁(トツベン)で、いかにも自信がなく、質問が出たりすると、冷や汗ものです。しかし、同じ講演を7、8回も繰り返す頃になると、初回のときは、自分でも理解できずに知ったかぶりをしていた部分も、十分に理解できています。

自信のせいで、「立て板にお湯」と言えるくらい話し方もなめらかです。「なんて上手いプレゼンだろう。参加者の満足度も高いだろう」などと自己満足、自己陶酔も極まってきます。

全く逆の評価を受ける
私は、講演などを行う場合、受講者の満足度を数量的に把握したいため、「この講演に対するあなたの満足度は?」のような設問を含むアンケートに回答してもらいます。この総合満足度に関して、注目すべき現象に気づきました。

結論を言ってしまえば、自分の自覚では、まだヨチヨチ歩きの頃の2回目か3回目位の講演が一番評価が高いのです。逆に、自分では、自信たっぷりで行っている7、8回目位の講演の評価は、たいてい、それより低いのです。この現象に最初に気づいたときは、キツネにつままれたような気分でした。

落とし穴に気づこう
そのうちに、この怪現象の謎が解けました。わたしは、同じ講演を繰り返すうちに、講演の「内容」には精通していったのですが、逆に、私の講演を今日初めて聞く聴衆の「視点」「発想」を徐々に失っていたのでした。きっと、講演を重ねるうちに、勝手に一人、早口で話していたのだと思います。

営業担当社員が新製品に詳しくなればなるほど、お客様に対する新製品の説明がうまくなる、と一般的には思えてしまいます。そう思うのが自然です。しかし、そこには意外な落とし穴が潜んでいることに気づきましょう。

大前提の説明洩れ
「技術的スキル」と「伝える技術」とは、全く別物です。それなのに「分かり過ぎて、分らない」の認識が薄いため「精通者こそ説明適格者」の基本原則がまかり通ってしまいます。たとえば、やむをえない事情から、製品開発の技術担当者が突然、本業ではない「取扱説明書の執筆」をさせられたりします。しかし、技術者は、その製品に十分精通しているため、たいてい、映画館の暗闇に目が慣れ過ぎてしまった人です。

その結果、ユーザーの視点、発想が乏しく、「分かり過ぎて、分らない」症候群の患者であることが多いのです。この患者が最も犯しがちなミスは、「大前提の説明洩れ」と私が呼んでいるミスです。対象を知り過ぎているため、基本的大前提の情報に関し、「これくらい、知っているだろう」と、説明を省いてしまうのです。


気づくだけで、誰でも説明の達人になれる
もちろん、精通者、専門家がすべて説明者不適格ということではありません。ある分野の専門家であるあなたが「分かり過ぎて、分らない」現象に対する「気づき」を持つだけで、「専門知識」と「伝える技術」の両方を手にしたことになります。そうなれば、たちまち、あなたは自分の専門分野で説明の達人にもなれるでしょう。

By ふじさわこうじ  フジサワコウジ