| 「分かりやすい表現」の技術 |
| 「分かりやすい説明」の技術 |
| 「分かりやすい文章」の技術 |
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この写真は地下鉄半蔵門線・永田町駅での案内板です。こんな標示に瞬間、迷ったことはありませんか。例えば、見慣れている人を除き、緑色の丸印で標示されている南北線に乗り換えるためには「左に行けばいいのか、右に行けばいいのか」。私たちはこの標示に戸まどいます。なぜなら、南北線の緑色の丸印に一番近い矢印が左を指しているからです。実は、こんな街の「分かりにくさ」の中に、私たちの日々のビジネスにも役立つ改善案のヒントが隠されています。瞬間だけとは言え、なぜ、この標示は私たちを迷わすのでしょう。どう改善したら、瞬間の迷いさえ起こらない「分かりやすい標示」にできるのでしょうか。
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| 似たような例をもう一つ、紹介しましょう。この標識も、「横浜へ行くには、直進だろうか、左折だろうか」とドライバーを戸まどわせます。見る人を迷わせる原因は、実は永田町駅の標示と同じです。 それでは、これら2つの例に共通する表現上のミスは何でしょうか。それは、私が「グループ分け不全症候群」と呼んでいる、私自身も含め、誰もが犯しがちなミスです。 外界から脳に情報が入ってくると、人間はまず、情報の区切り、境界を見つけ、大きな塊(グループ)に「分けて」、外界を認識しようとします。情報発信者が始めから、境界線を強調するなどして、その「グループ分け」がよく見えるようにしておけば、情報受信者が迷うことはありません。逆に、情報発信者が、その「グループ分け」作業で手抜きをした場合、情報受信者自身がその作業を押し付けられ、認識に手間どるのです。 |
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情報発信者が左側のようなつもりで表現しても、情報受信者には、右側のように見えている可能性があるわけです。情報発信者の解釈の部分である「線」を明示的に表現しないからです。例えば、プレゼンテーション用パッケージを作る際にも、この視点、つまり、自分だけが分かっている解釈(情報の境界、グループ分け)を明示しているかをチェックするだけで、随分と分かりやすいものに改善することができます。 |
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認知心理学では、人間が外界からの情報を処理する際、情報が最初に処理される場所を短期記憶と言い、短期記憶で処理し終えた情報が最終的に格納される場所を長期記憶と呼んでいます。私は覚えやすいように短期記憶のことを「脳内関所」、長期記憶のことを「脳内辞書」と呼んでいます。 |
| 脳内関所のサイズが小さいことに由来する、分かりやすい文章を書くための簡単なテクニックを紹介しましょう。文章といっても小説などのような芸術文ではなく、あなたが日頃、会社のメールで書いているような仕事に使う実務文です。あなたが素晴らしいアイデアを持っていた場合、それを上司や他部門の人、またはお客様に伝える手段が文章であることは多いわけです。せっかくアイデア自体が素晴らしくても、文章でそのアイデアを伝えることができなければ、評価してもらえません。素晴らしいアイデアを生み出すことも仕事の重要なスキルですが、それを周囲に「伝える技術」も、同様に重要なスキルなのです。 | ![]() |
| 私は、この情報の入り口が小さいことになぞらえて、人間の認知のメカニズムを「ビール瓶の原理」と呼んでいます。水(外部情報)をビール瓶の狭い口(脳内関所)に、乱暴にドッと勢いよく浴びせかけても、ビール瓶の中(脳内辞書)には効率よく水が入っていきません。つまり、情報が理解されないのです。プレゼンテーションなどで、早口でまくし立てる癖がある人は注意しましょう。水をビール瓶の中に効率よく注ぎ込むには、小さな口から水があふれないように、細い水流で慎重に注入する必要があります。実は、短い一文の連続で分かりやすい文章を書くテクニックも、このビール瓶の原理に基づいているのです。 | ![]() |
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先に映画館に入っていたあなたが、遅れて映画館に入ってきた友人を館内入口で出迎えるシーンを考えてみましょう。上映中の館内は、すでに照明が消され、真っ暗です。映画館に先に入っていたあなたは、目が暗闇にすっかり慣れているため、通路などもよく見えます。そのため、友人も通路がよく見えているものと勘違いし、あなたは、その友人を座席までササッと足早に誘導しようとします。その友人は、足早に誘導されても、真っ暗なので歩くのもおぼつかなく、つまずいて転倒でもしないかと恐怖さえ感じているのです。 |
| 私は、物事に慣れるまでのこの時間を「タイムラグ」と呼んでいます。説明下手な人は、たいてい、このタイムラグの認識が全くない人です。タイムラグとは、一般的には、「時間のずれ」「時間差」です。しかし、私がここで言うタイムラグとは、聞き手の脳が説明されているテーマに慣れ、その内容を消化、処理できるようになるための準備時間を指します。 |
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| 「文は長ければわかりにくく、短ければわかりやすいという迷信がよくあるが、わかりやすさと長短とは本質的には関係がない。問題は書き手が日本語に通じているかどうかであって、長い文はその実力の差が現れやすいために、自信のない人は短い方が無難だというだけのことであろう。」 (句読点、送り仮名等、原文のまま) |
| 「文は短い方が分かりやすいと一般的に言われているが、日本語の実力がある書き手なら、長くても分かりやすい文を書くことができる。」 |
| またもや、推測で恐縮ですが、恐らく、この著者は「文は短くしよう」との世間の風潮に普段から憤慨していたのではないでしょうか。著者の感情である、その憤慨を表現することが中心になっているため、論理的不正確さが紛れ込んでしまったのではないでしょうか。文章は数学ではないので、あまりウルサク、論理、論理などと言いたくありません。たとえば、エッセイなどの芸術文では、主役である書き手の人となりを読者が感じて楽しむものです。 したがって、芸術文であれば、原文のように書き手の感情を素直に書くことは、とてもよいことです。しかし、実務文の主役は、書き手ではなく、伝えるべき情報、主張、事実などです。こうした実務文では、論理的にねじれた文章は、それだけ説得力が低下します。実務文の書き手は、あまり出しゃばらず、黒子のように、主役の座から一歩引いて、隠れていましょう。 | ![]() |
| 「重い家具は運びにくく、軽ければ運びやすいという迷信がよくあるが、家具の運びやすさと家具の重さとは本質的には関係がない。問題は家具職人の実力があるかどうかであって、重い家具はその実力の差が現れやすいために、自信のない職人は軽い方が無難だというだけのことであろう。」 |
| 「家具は軽い方が運びやすいと一般的に言われているが、実力のある家具職人なら、重くても運びやすい家具を作ることができる。」 |
| の二つです。パソコン・マニアはパソコンの知識が十分でも、「初心者の発想」に欠けるのです。もちろん、パソコンをよく知らない初心者は、パソコンの知識がありませんから、こちらも、お話になりません。 このケースでは、適任者は「初心者卒業ホヤホヤ」の中級者です。分かりづらいマニュアルに怒りながら、さんざん苦しんで、やっと、どうにかこうにかパソコンを使いこなし始めている人です。初心者卒業ホヤホヤの人なら、初心者が何を理解できず、何を迷い、それをどう解決したか、記憶に新しいはずです。記憶に新鮮な自分の体験をほとんどそのまま書いていけば、初心者向けのよい入門書ができあがるでしょう。 | ![]() |
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同じ内容の講演を繰り返し依頼される私も思い当たることがあります。初回の講演では、プレゼンテーション用のパッケージも作成したばかりで、内容にも自信がない状態です。ところどころに自分自身が十分理解できていない個所があったりもします。したがって第一回目は、それこそ話し方も訥弁(トツベン)で、いかにも自信がなく、質問が出たりすると、冷や汗ものです。しかし、同じ講演を7、8回も繰り返す頃になると、初回のときは、自分でも理解できずに知ったかぶりをしていた部分も、十分に理解できています。自信のせいで、「立て板にお湯」と言えるくらい話し方もなめらかです。「なんて上手いプレゼンだろう。参加者の満足度も高いだろう」などと自己満足、自己陶酔も極まってきます。 |
| そのうちに、この怪現象の謎が解けました。わたしは、同じ講演を繰り返すうちに、講演の「内容」には精通していったのですが、逆に、私の講演を今日初めて聞く聴衆の「視点」「発想」を徐々に失っていたのでした。きっと、講演を重ねるうちに、勝手に一人、早口で話していたのだと思います。営業担当社員が新製品に詳しくなればなるほど、お客様に対する新製品の説明がうまくなる、と一般的には思えてしまいます。そう思うのが自然です。しかし、そこには意外な落とし穴が潜んでいることに気づきましょう。 | ![]() |